震災から6年、あっという間の6年

写真は震災当日の45号線(仙台市中心から沿岸部)。停電で明かりがなく、車の渋滞のライトと一部沿岸の施設炎上のみが光って見えていた。

いつも3月11日の14時46分になると、”また震災から1年経過したのかー”と感じるし、毎年その時間が来ると”あんな経験もうしたくない”と未だに感じる。それぐらいインパクトの大きい経験だったし、死ぬまで毎年、このタイミングになると考えるんだろうなと思う。

2011年3月11日(金)は前日に会社の後継者塾への入校試験合格が決まってて少し浮かれていて、”今日は金曜だし仕事したくないやー”気分だったのを覚えている。仕事もなーなーで、14時に宮城県山元町の方にある某企業にランチがてら行こうかなーとカレンダーには入力しておき、結局社内でグダグダ過ごしていた。多分あそこで行ってたら、38号線なんて車で走ってたら、死んでたんだと思う。いつだかは覚えていないけど、その企業は震災特集の企業復活ドキュメンタリーで取材されていて、社員・家族含め25名が津波で亡くなったと放送されていてゾッとしたのを覚えている。実際大地震があった時は23階建てのオフィスビルの23階のデスクにいたため、免震構造+立て続けの余震で揺れた揺れた。。。電気・水・ガス、全てのインフラが止まり、そんな中不運にも雪で寒く、夜10時頃に23階から階段でトボトボ帰った1日。合わせて”自分で何とか生き抜く力をつけよう”と感じた日々。

2012年3月11日(日)は震災で知り合ったIT業界の方々と現状を見に宮城沿岸から福島沿岸を車で走っていた。ちょうどその時間は津波の被害の大きかった名取の閖上地区にて迎えたはず。1年で大きく変わった所もあれば、全然変わらない所もあった。そういえば津波被害の荒地で会社の車のバンパーをがっつり擦っちゃったな。。。

2013年3月11日(月)は仕事で青森へ。震災で亡くなった祖母の3回忌を前日に終えて、仙台に戻り、朝一で青森に向かい、超吹雪の中で生鮮市場の方々へ色々と説明・提案していた記憶がある。広い会議室で長めの質疑応答をしている間に、ちょうどその時間を迎えた。

2014年3月11日(火)はセブ島の英語学校でみんなでアクティビティをしていた。ちょうど午後からのアクティビティで、学校内を走り回ったり、ゲームをしている間にその時間を迎えた。ちょうど就活中で日本のエージェントに面接調整の連絡したり、友人の結婚式のフライト買ったり、バタバタしていた。

2015年3月11日(水)はシンガポールのオフィスで仕事に忙殺されていた。当時は幾つか大きなプロジェクトが走っていたり、大きなクレーム対応をしたり、メンタルがかなり追い詰められていたので、日本本帰国も視野に入れながらエージェントとも並行してやりとりしていた。ちょうどオフィスのデスクでサイボウズのカレンダーを見ながら”あっ来た”、と日本時間でのその時間を認識したのを覚えている。

2016年3月11日(金)は仕事でアジア全体のキックオフが終わり、前職の顧客とドイツ料理屋でランチを済ませ、デスクであーでもないこーでもない考えながら、また日本時間でのその時間をオフィスのデスクで迎えた。たまに会社のメンバーに当時の話を聞かれる事があるけれど、ネガティブな雰囲気になるのが嫌なので、そこまで詳細は話さないようにしている。

2017年3月11日(土)は昨年同様にアジア全体のキックオフが終わって疲れた平日の後だった。日本人中学校で剣道を終えて、日本に本帰国する先輩の家に幾つか食料を取りに行き、先輩の車で帰宅してシャワーを浴びてベッドで横になっている時に日本時間でのその時間を迎えた。フェイスブック上はさすがに6回目の日という事もあり、そんなに悲しい感じではなかった。

2回目からは意外と日々と変わらない過ごし方だったんだなー。。。自分の周囲にいる家族、友人、関係する人(地域・地区の人、顧客、同好会…etc)、、、起こった事は悲しみとか苦しみとかネガティブな感情ばかりだったけど、特に日本の人たちがいろんな関わり方で同じ方向(復興・復旧)に向かったパワーやパッションは凄かったし、その被災・復興のプチ当事者として今でも(もしかしたらずっと)一番残っているのは、そんな時に一緒に同じ方向に向かってた人との繋がりなのかもしれない。

最近復興の第一線で活躍されていた当時の会社の先輩から”元気にしてる?今はイスラエルで働いています”なんてメッセージが5年ぶりに来た。確か後継者塾で震災の後に繋がって、岩手・宮城・福島の高校生向けのリーダーシップ留学について一緒に石巻に行ったりした先輩。その先輩のボスは社長室・復興組織にて社長と直接交渉されていた方で、石巻へ二人で車で向かった時の”社長との勝負について”の会話は27歳の自分には超衝撃的で今でもはっきり覚えている(今は札幌の高校で校長先生をされているそう)。二人の大先輩からは本当に学びの多い機会だった。他にもたくさんの方々と繋がったけれど、今は元気にしているんだろうか。南三陸でガイドでお世話になった方々、実際にルーターやiPadなどいろんなインターネット機器を活用してくれた避難所や仮設住宅にいらした方々、当時の留学プログラムで知り合った高校生の皆さん、一緒に仮設住宅を回ったIT業界の先輩方。。。

震災から1年経過し、社長の後継者塾で”このままではまずい”と感じていたら、グロービスも震災からの再創造の担い手のために仙台校をオープンしたようで、ビジネスの基礎から学ぼうと思ってタイミングよく通い始めた。通っていたら田村耕太郎さんのお話を聞く機会があり、海外勤務への興味が大きく湧いた。湧いていたら起業家の先輩がオープンしているコワーキングスペースがあり、海外勤務の相談をしていたらシンガポールのリーゼントマネージャー岡田兵吾さんを紹介してもらい、実際にシンガポールに会いに行ってますます興味が湧いた。その1年後には会社を退職してセブに渡り、半年後にシンガポールで転職し、今はアメリカの会社で田村耕太郎さんの本の中に出てくる”グローバル”に近い所?で仕事をしている。渡星して約3年。

震災の時は”人に頼らず生き抜く力をつけよう”と感じ、社長の後継者塾で”このままではまずい”と感じ、震災を原点として生まれた色んな繋がりの線が更に繋がって線をつくって、今の自分の道に大きく影響しているんだなと改めて感じた。冒頭の通り、未だに思い出すと”本当きつかったなー”と感じるし、シンガポールのような地震の無い国でも少しガタンとか言うと”まさかの地震か!”とかなり驚くし、やはりこの経験はネガティブな感情が大きいし失ったものも沢山あるけれども、同時にこの3月11日というのは今の自分をつくってくれた日々、大きく変えてくれた日々に感謝する日なんだな、と思う。
今更感はあるけれど、備忘録までに。

げーしー
  • 2013年から始まった人生ログ。
    自分の振り返りを目的として色々とメモしています。

Others

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください