10年間お世話になった仙台を離れる

ついに仙台を離れる日が来てしまった。大学院に入学してからの10年間なので、人生の3分の1がこの地に詰まっていると思うとなんだか寂しい。。。思い出す事と言えば基本的に挫折ばかりだけど、でも良い思い出として残るのはいつも挫折なので、回記録がてら。

東京から引越して大学院から仙台へ。一番は社会人になりたくないのが大きかった、自分が働くなんて全くイメージできなかったから。興味ある景観の分野を学ぶとなると東北大学の研究室が自由に自主的に研究できて自分にしっくりきたので。入学したものの1年くらいはかなり劣等感が大きかった記憶がある。みんな頭がいいなと(笑)単純に比較しなきゃいいのに、、、という所もあるけど、それだけ能力にギャップを感じたのでディスカッションやクラスのアサインメントなどみんなでヨーイドンな事は本当に億劫だった。読書や旅行などの習慣だけでなく、生き方そのものの考え方、色々とみんなからも影響を受けたので辛かったけど総じてかなり良い挫折だったと思う。一部とは汐留に出張で行った時に会ってたけど、、、みんなかなり散らばったし、シンガポールにいて3年くらいご無沙汰だけど、元気にしてるんだろうか。

仙台のカレー屋で働いたり、頻繁に食べに行っていた。都市景観の研究をしていたので、勉強がてら文化横丁にあるカレー屋Gokochiでバイトをして、自分も社会不適合者だったのでオーナーにいつも指摘されながらも、当たり前の事を当たり前にできるよう接客を通じて常識ある人間になる訓練を繰り返していた(汗)残念ながらもうお店は閉まっちゃったけど、未だにオーナーやスタッフの皆さんとは連絡している。いつも斉藤和義とか大橋トリオとか、オーナーの好きな曲が流れてそれに影響を受けてライブに行くようになったり。Gokochiが閉まってからは、定禅寺通りのカレー幸希へ毎週通っていた。どことなく野菜の使い方にGokochiカレーにスタイルは近いので、今まで通りカレーが食べれるし、隠れ家な雰囲気でカウンターにて仕事の忙殺から一人逃れに来ていた。野菜の質はピカイチなお店だったと思う。

法人営業を通じて仙台でも色んな人と繋がった。東北だと企業のサイズが混在するので超小規模から大きな会社まで、全てのインダストリーで、テリトリーな考え方で色んな人と繋がって色んな経験ができた。お客様とめちゃくちゃ飲んで(というか飲まざるをえなかった)吐いて介抱された事もあったし、障害でたくさん怒られた事もあったし、ミス回避するために急遽手ぶらで松山まで飛んだり、下に見られて契約書類についておもいきし詰められたり。一番凹んだのは同僚から紹介してもらった案件のネットワーク開通スケジュール管理を怠って大問題になってしまった時。仕事が簡単だと勘違いして鼻が高くなってた時に思い切りへし折られた時でもあるし、信頼が瞬時にして失われた時でもあるし、あの経験は仕事がコミュニケーションの上で成立している事を学んだ挫折というか大失敗だったと思う。もう1つはとある白物家電の会社の対応が大炎上している中で引き継いでテコ入れをしなければならなかった時、人間は罵声を浴びすぎると心がダメになる。。。かなり要求の激しいお客様だったし精神的に追い詰められたけど、関係者を高速に動かさなければならなかったので、深夜に寝ている時に発狂するくらいかなり辛かったとはいえ良い経験だった。元々入社する時は営業なんて自分にはフィットしないと思っていたし、今でも営業自体好きでも得意ではないと思うけど、それでも社内外で沢山の人達にお世話になって全てが成立していて、自分が少しずつ形成されていったなあと。御礼がてら一時帰国した時は今でも挨拶に行ったり、食事に行ったり、これは一生の繋がりだろうなと思う。

グロービスの仙台校にも通っていたな。とにかく当時は自分を立ち上げたくて、孫さんの後継者塾での挫折があまりにもショックすぎて、当時はとにかくがむしゃらだった。仙台校が立ち上がって1年目だったので、多種多様な面白い人達がたくさんいたと思う。ビジネス全く関係なく付き合えて、また授業も大事だけど、先輩たちの色んな話を聞けたのが良かった。特に仙台だと中小企業の地元に根ざしている人達が多くて、また人もあったかくって、こないだ2ヶ月仙台にいた時は仮オフィスの紹介も、仮オフィスの場所も、当時の転職のアドバイスも、いろいろな人生相談も、、、みんなクラスメートだったはず。もともと通い始めたきっかけの後継者塾での挫折は、孫さんの前で行うプレゼンの予選プレゼンの時、10点満点の採点で1点の評価だった時。当時”この人本当にすげえ!”と思っていた先輩が確か当時32歳だったはずで自分の今の年齢と同じ事となる。先輩は今は社長室、自分はスタートアップのBusiness Growthへ。絶対越してやると思って今まで仕事してきたけど、どうだろう?来月に挨拶がてら食事したいな。

東日本大震災の後はよく南三陸に行っていた。一緒に仕事をしてお世話になっていたIT企業の社長が旗を振って、モバイルやタブレットなど本社からCSRとして大量に調達して仮設住宅向けのネットワークなどを担当して、ファイバーが津波で流された場所でインターネットを使える環境そのものから1つ1つ立ち上げていた。全国にいる色んな業界の凄い方々が一気に集まって、みんなで手分けしながら立ち上げていった時、しかもそのインフラを通じて新しく色んなコミュニケーションが拠点をまたいで仕事、友人、家族と生まれた時、通信キャリアで働いてて良かったなと感じた。こないだたまたまその社長とばったり街中で会って、転職の挨拶をしつつ久しぶりに会話もしたけど、お世話になった方々とは今でも繋がりつつ、これからも狭いITの業界で一緒になるんだろうなと思う。

まだまだ沢山の出来事があったし、10年間を一気に詰めるのは難しいけど、この辺が自分自身に大きく影響があったんじゃないかと思う。
書いていて気づいたけど、残ったのは辛かった思い出ばかりは勿論だけど、実は人との繋がりなんじゃないかなと思う。それがこれからもっと拡がったり、深くなったりしたら、それって正に人生の醍醐味なんじゃないかと。仙台には今まで通り帰って来て、また今まで通りみんなに会いに行こうと思う。

げーしー
  • 2013年から始まった人生ログ。
    自分の振り返りを目的として色々とメモしています。

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