イベリア半島で過ごした年越しとこれから

前回の日記が11月から早くも2ヶ月(汗)時が過ぎるのは本当に早い…予想通り年末まで慌ただしかったな、21日になったと同時にリスボンに向かって年末のオフがスタートした2019年末だった。この写真はリスボンで発見のモニュメントというヴァスコ・ダ・ガマがインド航路へ旅立った際の船出の地に建てられた偉人たちの像で、この地から大海を通ってインドからアジアというか日本まで、通信技術も造船技術もない中でよく来たなぁと関心する。これこそ0を1にする、だよなぁ。自分のやってる仕事がちっぽけ中のちっぽけに感じた時でもあった。

今年もサンセバスチャンに行って食い倒れたけど、その後も昨年同様に友人のいるパレンシアで2泊。クリスマスシーズンはヨーロッパ中にバラバラな場所で働いているパレンシア出身の若者がみんな実家に帰ってくるので、友人の友人とスペインスタイルで深夜まで飲んで、昼間で寝る生活でかなり楽しかったけど結構疲れたかな(笑)みんな同世代はスペインの経済危機に直面した時にみんな国外に仕事しに出て行っているので、話を聞いていてもヨーロッパの中でもドイツやUKの同世代より少し苦労してきたんだなってのを感じる。その当時は危機に伴って町の人口が90000から85000人まで一気に減ったと言ってた。アイルランド、UK、ドイツが仕事場として多いかな、どこも仕事をする場だからオフになると頻繁に実家に帰ってるみたいだけど。向こうの場合はスペイン語+英語のバイリンガルで仕事を探せるから羨ましい…加えて南米でも仕事できるorスペイン語圏として仕事できるしね。自分は非日本語圏で仕事をするとなると活かせる言語は少し話せる英語の1言語だけだから、それだけでビハインドを負う事になる。

2020年になって本格的にヨーロッパへの移住計画が進む事になりそう。もう日本に帰国して2年が経過するけども、なんというか日本はヌルい。それは環境がどうこうっていうより、自分が日本に生まれて日本の文化の中で育ったために日本語で日本人と日本の文化で仕事をするのはちょっとヌルいんじゃないかという事。仕事が最低限成立してしまう。寧ろ30代はもっともっと厳しい環境に身を置いて、そもそも生まれた国から育った環境からキャリアからもうぐっちゃぐちゃな世界で働いた方が、将来のためにいろんな苦労をしてきた人を理解できる人になれるんじゃないかと思って。

今のグローバルチームのダブリンチームへ移るのが第一候補だけど、その場合は別ミッションとして日本語圏を担当するわけだから、唯一話せる英語圏でおそらくアイルランド・UK、もしくはノルディックス…ベネルクス?自分もまだマーケットのカルチャーが分からないから何とも言えないけど、その辺りの英語で仕事ができる国を主担当として仕事する事になりそう。英語のレベルは向こうに行くとドベになるし、マーケットはド素人だし…いやぁ、かなり痺れるチャレンジになると思う。その中でまずは⓪社内のHQとEMEAのボスたちをちゃんと抑える、①オープンポジションで他の候補者と勝負する(社内異動だろうと自分がなぜベストな候補者か?)、②そのポジションに少しイレギュラーな形でロールをつくる(日系マーケットをどれくらいの期間でどれだけグロースできるか?)、③給与とビザの問題、いやぁ大きくは4ステップを超えられないと実現できない。正念場な1年になりそうだ…

早速⓪のボス抑えのためにデータをデンバーとダブリンのスタッフに一部相談しながらぐりぐりぐり…3月にHQ出張を控えてあと1ヶ月でマーケット分析をまとめあげないといけない。同時にもしこのプランが仮にダメになった場合のバックアップとして…それ以外に向こうで働いてみたい会社も探すのかな?(現実的じゃなさそう)それよか良いタイミングなのでEMBAに入学するのでヨーロッパに移住する気がする。んーむ…来年には移住しているんだろうか。

げーしー
  • 2013年から始まった人生ログ。
    自分の振り返りを目的として色々とメモしています。

BusinessTrip

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